降り時っていつなんだろう

 

 あけてしまっていました。

 とても寒いし、雪がもさもさ降っていて嫌だなあと思う毎日です。

 夜行バスに向かう時の電車はどうか、頼むから遅れないで、と願うばかりです。

 

 タイトル通りなんですが、最近はいつ降りるべきかということ考えています。もう興味がなくなったから降りるのではなく、推しさんは大好きなのだけれど現場に行くことを億劫に感じる自分が嫌で自己嫌悪に陥ることが頻繁にあって辛いので降りたい、のです。降りたいと思っても、今の私の一番の幸せは推しさんを観ることなので、降りても幸せになれないことは分かってるんですけどね。他人のことを気にしながら追いかけることってすごく辛くないですか?推しさんが好きって感情だけだったら楽なのになあ。春の舞台が終わったらペースを落としたいなって思っています。私にしては頑張っていたほうだと思います。ただ、他人にその頑張りを堂々と言えないだけで。端から見たら、自分の欲望のままに生きている金遣いの荒い人間です。でも、私は頑張っていたんです。頑張った。自分のペースって何ですかね。私は自分のペースで応援していきたいけど、いまだに自分のペースというものがよく分かっていません。

 推しさんは努力家なんだと思います。新しいお仕事にもチャレンジしていって私が好きになった当時よりもキラキラ輝いています。やりたかったお仕事なんだと思います。その仕事を追いかけることに私自身が戸惑いを感じていて、そのせいで億劫に感じているのかもしれません。

 不毛な思いを抱え、お金をたくさん使って、答えの出ないことで悩むことはすごく疲れるなあと思います。物凄い幸せと夢のような時間を頂いているんだから、悩むことくらいしろよってことなんですかね。

 

 もう一つ降りたいって思う原因はやっぱり同担さんが苦手だからです。自衛を心掛けているんですが、自分から同担さんの呟きを見に行ってしまいます。馬鹿ですよね。ミュートにした意味ないじゃん!って思います。どれもマウントに感じて辛くなってしまいます。私の心が捻くれているだけなのかもしれませんが・・・。でも、全部の同担さんが苦手というわけではなくて、寧ろ仲良くなりたいと思える方もいるんです。推しさんへの考え方だとか普段の呟きから優しさが滲み出てる感じで、推しさんをものすごく大切にしてる方なんです。もし、機会を頂けるなら、考え方や価値観について話してみたいなあと思います。

 

 友人の話をします。私の友人は推しさんから降りて、LDH系に行ってしまいました。寂しかったんですが、楽しそうで元気な友人を見ていると嬉しいです。毎回推しさんの話してるとき辛そうだったもんね。好きになったアーティストのことを楽しそうに話している友人は心なしか前よりも明るくなった気がします。新しい世界に行くことは悪いことじゃないんだね。

 その友人に「積んだ写真集見てどう思うの」と聞いてみたことがあります。友人は「不快な気持ちはないし、何とも思わない。あの時は楽しかった・・・」と言っていました。私の解釈が入ってしまっていますが、こんなニュアンスだったと思います。私もその時がきたら、積んだ写真集やCDを観てみて、そんなことを思うのかなあと考えます。

 

 いつ降りようかなあいつ降りようかなあと考えていると、昔友人に言われた言葉を思い出します。(上記の友人とは別の人です)

 「あんたってすぐ好きな人変わるよね」

 確かに、私はコロコロ好きなジャンルを変えてきました。気が移りやすいんでしょうね。期間が短かったとしても私はその時のその人をジャンルを全力で好きだったので傷つきました。また同じようなことを言われることが怖いので私が昔好きだったジャンルを知っている友人とは会いたくありません。推しさんを降りたら、今仲の良い友人とも離れようとするんだろうなあと思います。言葉の呪いにかかっています。怖い。

 

 なんだかごちゃごちゃと書いてしまいました。

 過去に好きになった人も、当時は大好きでした。

 でも今は、推しさんが一番で大好きです。今、好きな人を大切に生きていきたいなあと思います。私が死なない限りずうっと応援し続けたいです。推しさんは私が生きていくためにはもう必要不可欠な存在です。いつも推しさんを観れる予定があるから頑張れています。

 降りたいなんて言ってしまうけれど、よっぽどのことがない限り降りられなさそうです。すきだなあ

 

 推しさんのことを考えて落ち込む期間に入っていますが、今年初めがもうすぐそこなのでモチベを上げて色々頑張りたいと思います。